上野ブラリ(旧岩崎邸庭園、下町風俗資料館)
世間的にはゴールデンウイークですな。
大部分の方は日並びが悪いので4連休と言うところでしょうか?。
そんな自分はさらに悪く、4日、6日と出勤の為、3日、5日のみお休みと、普段の週末より悪い週末を迎えております。
で、本当に本当に「安、近、短」しか選択肢がなく、都内にまたもやブラリ。
まずはここに。
かつて、越後高田藩榊原家(現在の新潟県上越市高田)の中屋敷であった場所が、明治時代初期に牧野弼成(旧舞鶴藩主)邸となりその後、1878年(明治11年)に三菱財閥初代の岩崎弥太郎氏(龍馬伝の香川照之さんだ)が購入した邸地です。
昔だったら不忍池が一望できる池之端の一等地です。
正門から、長い砂利道(それでもかなり岩崎家が住んでいた頃に比べるとかなり短くなったそうで)、を歩くと....
どーん!
1896年(明治29年)に竣工した木造2階建地下1階建てのとってもとっても立派な洋館。国の重要文化財
鹿鳴館や、三菱一号館等を手がけ、”日本近代建築の父”と呼ばれた辰野金吾氏などを育てたジョサイア・コンドル
が設計。
建てたのは三菱財閥の三代目総帥岩崎久彌氏(弥太郎氏の息子。弥太郎氏は1885年に死去)。
しかし、ここでとっても残念なことに「館内撮影禁止」と言う事を知る。かなりガックリ。
「文化財保護」が理由らしい。
でも確かにGWとは言え、かなりの来場者。
これで、アマチュアカメラマンに写真をゆっくり撮られると、収拾つかなくなるのは容易く想像できる。
何せ築118年、しかも木造。
だから、2階の見学は人数制限までしている状況。文化財保護の難しさは随分聞くが、やはり大変なのです。
中は当時の建築技術が鏤められた素晴らしいつくり。
特に壁紙として使われている「金唐革紙」は一軒の価値あり。
裏手は大きな芝庭と大きなベランダ。
1階と2階で柱のデザインが異なるのは設計者のこだわりでしょう。
芝庭もかなり縮小されてしまったそうですが、一民間人の庭として考えれば信じられない広さ。
隣には山小屋チックのビリヤード場が。
隣の洋館とは地下で繋がっていて、来客と夕食の後の娯楽として、ビリヤードを嗜んだそうで。
ブラタモリでもこの洋館の地下通路に関して紹介されてましたね。
現在は地下通路全て見学不可。安全性に問題があるんでしょう。
洋館の隣には和館が。
洋館は来客や、書斎として、普段の岩崎家の生活空間は和館だったそうで。
各所に岩崎家の家紋である三階菱が、屋根には3メートル強の一枚板が使われているなど見所満載。
でも「思ったより部屋数が無い」と思いきや、大部分が1969年に司法研修所建設の為に解体。あまりにも勿体無い....。
また、小岩井農場の商品が2箇所で出張販売しており、「何故?」と思いきや、日本鉄道会社副社長の”小野”義眞(おのぎしん)、三菱財閥2代目の”岩”崎彌之助、鉄道庁長官の”井”上勝、共同創始者3人の名前の頭文字をとって、ついた名前だそうで。
てっきり、地名か、創始者が小岩井さんなんだと思ってました。
旧岩崎邸庭園から数百メートルの不忍池沿いにあるのが「下町風俗資料館」
明治大正時代の東京の下町を再現した資料館。
この手の資料館は「深川江戸資料館」、「江戸東京博物館」がありますが、その元祖みたいなもんでしょうか?(時代は違いますが)。
「小さい」とは聞いてましたが、確かに小さかった(^^;)。
でも昔の駄菓子屋が再現されていたり、昭和30年代の一般家庭が再現されていたりと、今の子供達が見たらかなり新鮮に見えるんだろうなぁ。
この手の施設は都内だけでも「江戸東京たてもの園」がありますね。
あと、予約が必要なUR都市機構の技術研究所。ここに「集合住宅歴史館」ってのがあるんですよ。ここに行ってみたい!(タモリ倶楽部でも過去に特集されました)。
上野を後にし、この日のメインイベントの六本木へ。
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