高熱隧道へ(黒部旅行2日目その2)
欅平駅の2階に集合し、いよいよ仙人谷ダム、黒部第四発電所、黒部ダムを結ぶ関西電力さんによる黒部ルートの見学会のスタートです。
まずは最初に身分証明書のチェック、そして、ALSOKさんによる金属探知機を用いたボディチェックと荷物のチェック。
何せ関西電力の水力発電の中枢に入り込むわけで、映画「ホワイトアウト」みたいなことになったら大変だからでしょう。
見学中はずっとヘルメット着用。万が一火災が起きた際の防煙マスクの着用方法の説明。
う~んマジです。
何せ全工程18キロ近いルートで外に出るのは本当に一部のみ。殆どが山の中ですから逃げ道はありません。
欅平駅にてまず紹介されたのは冬季歩道の一部。
黒部峡谷鉄道は冬季は雪崩が頻発するため、全て運休。一部はレールすら外されます。
その為、職員さんは宇奈月から鉄道のすぐ隣にあるコンクリートのトンネルでここまでやってきます。宇奈月からはなんと6時間かかるそうで。(黒部ルート内部は殆どが山の中なので、冬季も鉄道運行は可)
いよいよ一般人立ち入り不可のエリアに。
最初の欅平下部駅までは職員専用トロッコで。違う車両には作業員の方も同乗されてます。
黒部下部でトロッコから降りると、竪坑エレベーターに。
竪坑エレベーターは欅平~仙人谷があまりにも急勾配な為に鉄道を通すことが出来ず、山の中に車両1両ごと載せられる200mのエレベータを作ることにより高さを稼いでます。
竣工したのは昭和14年、戦中ですよ。当時としては最先端の技術です。
欅平上部に到着。展望台からは白馬鑓岳と天狗頭を望むことが出来ます。
構内の温度計は13度、かなりヒンヤリ。一年中この温度をキープするそうです。
ここからいよいよ上部軌道へ。
まずはここで、上部軌道のご説明を。
この上部軌道は竪坑エレベーター同様昭和10年代前半に仙人谷ダム建設の為に作られた全長約5.5キロに及ぶトンネル。(その後黒四建設時に仙人谷~黒四間0.9キロが延伸)
欅平~志合谷~阿曽原~仙人谷のうち、阿曽原~仙人谷間が後に「高熱隧道」と呼ばれ、建設当時岩盤が最高摂氏165度に達する区間で、ダイナマイトの高熱による自然発火で暴発事故を多発。
超高温超多湿状態の中では黒部の水を浴びながらの作業でも20分が限界。
あまりにも苛酷な作業環境に加え、冬場は泡雪崩と言う宿舎ごと600mも飛ばされる巨大な雪崩事故も発生。直後に宿舎の火災事故など、死亡事故を連発。
トンネル掘削作業に犠牲になった作業者は実に200名近く(ダム建設や調査による犠牲を含めると300名)。
現代なら、即刻作業中止命令が出るような工事だが、当時は国家総動員法が発令されていたご時勢、電源開発は至上命令だった為に”国策”の名の下に平均賃金の10倍近い給料で作業員を集め、人海戦術で突破。
黒部と言えば「黒部の太陽」でおなじみ関電トンネルが有名ですが、過酷さで行けば「高熱隧道」の方が数段上。
ただし、映画やドラマ化は無理でしょうけど。あまりにも過酷過ぎちゃって。
興味を持った方、吉村昭著の「高熱隧道 」を是非ご一読を。「戦中の日本」を味わえます。
上部軌道はこの蓄電池式の専用機関車で進んでいきます。
高熱隧道は未だに摂氏40度程度の高温地帯の為、ディーゼル式では引火する恐れがあり、高熱隧道に立ち込める硫黄で送電線を設置することができない為、電化もできません。レールの腐食も早く、なんと2年ごとに交換するそうです。
この車両も耐熱構造の特注車で1両1千万円するとか?。
戦前に作られたトンネルなので高さ、幅共にとても狭く、車両に乗る際も気をつけないと頭を打ちまくります(私も何度もヘルメットのご厄介になりました)。
いよいよ高熱隧道へ出発。15分ぐらい経つと、硫黄の臭いがプンプン、随行員の方にドアを開けもらうと....。
スチームサウナ状態の高熱隧道が。
「今日は比較的温度が低い」とのことでしたが、いやいや、かなりの暖かさ。
壁面には硫黄がこの通りビッシリ。写真を撮る際も湿度が高いので、何度もレンズを拭きました。
「ここを突破するのにとんでもない犠牲を払ったのか......」と思うとかなり感慨深いものがあります。
高熱隧道を突破すると、いよいよ幻のダム「仙人谷ダム」です。
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