昔々ここにはね
本当にスローペースで書いてます。
え〜関西旅行3日目。
まずは私の我が儘でなんばパークスに向かいます。
関西の方ならご存知だとは思いますが、ここは元々大阪球場があった場所。
それが再開発されて、商業ビルになってます。
私も8年前にここを訪れました。
その時はもう野球場としての使命を終え、住宅展示場となってました。
でもダックアウトや、スタンド、スコアボード等が残っており、とっても感動したもんです。
実はここにはこんなものが残っているんです。
広場の部分にあるモニュメントとプレート。
実はここ、かつてあった大阪球場のホームベースとピッチャーズプレートが全く同じ位置に再現されてあります。
見ての通り。かつてのホークスのマスコットマーク、そして懐かしい大阪球場のロゴ。
こう言うのを残してくれているのが粋だよね。
まぁなんばの人たちにとって、大阪球場が特別ものだったからね。
そのほかにも敷地内にはかつてのホークスの栄光を讃える「南海ホークスメモリアルギャラリー」があります。
こちらには1959年、1964年の日本一のペナント、鶴岡親分のスタジャン。杉浦監督が大阪球場で最後に着たユニフォームなどが展示。
その他にも南海ホークス縁の方のコメントや写真などが掲示されてます。
規模そのものは大して大きくないものの、結構見ごたえありました。
ただし、これもまた有名ですが、ここにはノムさんこと野村克也監督に関する展示、紹介が全くされてません。
本当に何もない。過去の確執を今も引きづっているのが原因みたいです。
南海ホークスを代表する選手だったのですが.....。
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コメント
大阪球場と言えば、1975年の3月にオープン戦を観に行きました。思えば、後にも先にも荒川選手をナマで見たのはその時だけ(1975年の4月に引退)でした。
三塁ベンチ裏で見ていたら、選手の声も聞こえて来たんですよ。当時は渡辺進や杉浦がまだ新人でした。若松、大矢、松岡弘、安田、そして、荒川さんら花の22年組が中心でした。
大阪球場って本当に狭くて、客もガラガラだったので、大声なら外野と内野で話が出来そうでした。
この時、貰った荒川さんのサインは我が家の家宝です。今はあまり選手にサインを貰おうとは思わないので、貰える環境でも貰わないんだけど、荒川さんは特別(*^_^*)。
投稿: アトムズ | 2006/09/13 12:38
こんにちは
ここは場外馬券売り場がありますので、しょっちゅう通っています(^^ゞ
野村さんはお元気ですが、長くバッテリーを組んで活躍された杉浦さんと皆川さんは相次いで天に召されましたね。
展示については、私も最初に見たときに『そこまでやるか、南海電鉄?』と思いました。
ただ、未確認情報なのですが、南海側から野村家に『展示したいと思うのですが…』という申し出があったのですが、野村さんが断ったそうです。
もしもそれがホンマなら、『そこまで意地張るか、ノムさん』ですが(^_^;;;
一度、ココで立ち止まっていた時に『すいません、シャッターを押してもらえますか』と頼まれたことがあります。私と同じくらいの年令の子供を連れた男性でした。
『南海ホークスのファンだったのですか?』と尋ねると、初めて親に野球の試合を見に連れてきてもらったのが大阪球場だったとのこと。
今は転勤で大阪にいないのですが、子供が野球をやっているので、是非見せたいと甲子園のゲーム観戦とセットで来られたそうです。
南海ホークスが何故凋落消滅への道をたどったかは、
『甲子園への遺言』
http://www.boople.com/bst/BPdispatch?isbn_cd=4062129663
に、わかりやすくかかれています
投稿: シルク@昼休み | 2006/09/13 12:53
アトムズさん、毎度です。
荒川堯内野手ですね?。あっ、早稲田....。
若松、大矢、松岡弘、安田。う〜んそうそうたる面々。
昔のパリーグの球場は本当にガラガラでしたね。
川崎球場でのオリオンズーホークスなんて外野席はほぼゼロでしたね。
それでもそこそこチームが存続できたのも選手の給料の安さが理由かな?。
シルクさん、毎度です。
そう言えば、先日こちらで「夏のオッサン祭り」が催されていたようですな(^_^;)。
ノムさんなしでは本来南海ホークスの歴史は語ることはできないと思うのですが、強引に語ってましたね(^_^;)。
到着したのが土曜日の午前中でしたので人も少なく、実際に見学していたのは私たちを含めて2組程度でした。
横浜からわざわざ見に来る野球ファンなんてどれだけいるのかな?。
投稿: jaydash | 2006/09/13 22:55